この記事は過去にあった事故に関して記述しています。
疾風舞い散る12月の夜、山陰本線余部鉄橋は闇に包まれていた。
かつて名高き「みやび」と呼ばれた掘りごたつやカラオケを備えた列車が、臨時の「山陰お買い物ツアー」として駅を出発した。
延べ25万の人夫と巨費を投じ、1912年に誕生した余部橋梁。
トレッスル式の建築様式は当時の鉄道院技師古川精一氏らが、米国の技師の意見を取り入れて設計した傑作だった。しかし、老朽化を防ぐための補修が繰り返されていた。
そんな中、1986年のあの日、強風が彼方此方に吹き荒れていた。
臨時列車「みやび」は控えめなスピードで余部鉄橋に向かっていた。
しかし、列車指令員は警報を無視し、抑止の指示を出さなかった。
結果、突風によって列車は転落。水産加工工場の屋根を突き破り、6人の命を奪ったのである。
この事故により、鉄橋の信頼性に疑問符が浮かぶ中、新たな対策が講じられた。風速の目安を25m/sから20m/sに引き下げ、鉄橋上に風防が設置されたのだ。
そして、余部鉄橋は2代目に生まれ変わった。2010年から運用を開始した新たな橋は、かつての威厳と風格を持ちながらも、より安全性が高められた。
今では慰霊碑が建てられ、6人の亡霊の安らぎを祈る人々の手で照らし出されている。この鉄橋はまだ残るものの1つに過ぎず、過去の栄光と苦悩を背負いながらも、新たな時代へと向かっているのである。
今でも余部鉄橋は鉄道ファンによく知られた名所であり、彼らが敬意を払う場所となっている。しかし、その栄光には影もある。あの悲劇の日、強風が橋を揺らし、列車を転落させた。それは列車運行体制のずさんさと、補修の不備が重なった結果だった。
現在の余部橋梁は、その教訓を胸に、新たな未来へと向かっている。その誇り高き姿は、これからも鉄道ファンたちの心を魅了し続けることだろう。
餘部にはJRの駅、空の駅、道の駅の3つの駅があり、鉄道だけでなくツーリングやドライブバスツアーでも訪れる観光地となっている。
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